■ちょっと一服

忠犬ハチ公と大館

大館駅に降り立つと、正面に「忠犬ハチ公」の銅像が迎えてくれます。東京・渋谷駅前にも銅像がありますが、大館はハチ公の故里。最近ではハチ公の物語をご存知ない方もあろうかと思いますので、簡単にお話しましょう。

−時は大正12年(1923)11月。大館の街から南西に直線で6kmほどいった大子内(おおしない)という集落の斎藤家で秋田犬の仔犬が生まれました。(斎藤家は元国連事務次長の明石康さんの御母堂様のご実家です。)ちょうどその頃、東京帝国大学農学部教授・上野英三郎博士が純系の日本犬を探しており、これを聞いた教え子のつてで、生後50日前後の幼犬が博士のもとに送られました。この仔犬は足を「八」の字に踏ん張って立っていたことから「ハチ」と名付けられ、博士と共に食事をするほど可愛がられました。この頃は関東大震災や治安維持法の公布などがあり、暗い世相だったと想像できますので、上野博士にしてみればハチとの触れあいが心の安らぎだったのかも知れません。

やがてハチは立派に成長し、渋谷駅まで博士の送り迎えまでするようになりました。ところが大正14年5月、上野博士は大学内で脳溢血に倒れ急逝。通夜、葬儀の間ハチは餌を口にせず、そんな状態がしばらく続いたといいます。博士亡き後、上野家は浅草に引っ越しましたが、ハチは8kmも離れた渋谷駅の改札前で帰らぬ主人を待ち続けました。ハチは縁のある人たちの間で転々と飼われましたが、夏の暑い日も、雨の日も、そして雪の日もずっと渋谷駅の改札口前に座り続けました。そのうち忠犬として新聞に取り上げられたりし注目を浴びるようになりましたが、フィラリアにより昭和10年3月8日、孤独に13年の生涯を閉じました。

ハチ公の銅像は、昭和7年に東京朝日新聞で記事になったことから全国から見舞金や寄付が集まり、昭和9年に完成。同11年には小学校の修身?今でいう道徳でしょうか)の教科書にも採用されました。銅像の作者は安藤照氏。同じ年には安藤氏による「忠犬ハチ公臥像」が天皇皇后両陛下にも献上されています。

その後故里大館でも銅像設置の気運が盛り上がり、渋谷と同じ原型で昭和10年に建立されました。しかし渋谷と同じく太平洋戦争の金属回収令により供出されてしまいました。その後渋谷の銅像は昭和22年に再建されましたが、現在の大館の銅像は昭和62年(1987)に再建されました。しかし原型著作者からの許可が得られなかったため、新たに、両耳を立てて凛と立つ若き日のハチの像が作成されました。渋谷の銅像は左耳が垂れていますが、他の犬と喧嘩をしなかったハチが一度だけ他の犬に噛み付かれた時からと言われています。大館駅前の除幕式には、 上野の国立科学博物館に大切に保存されているハチ公のはく製も里帰りして行われました。なおハチは青山墓地で上野博士と共に静かに眠っています。

なお秋田犬は昭和6年に天然記念物に指定されていますが、それ以前は「大館犬」と呼ばれ、闘犬が盛んだったため大型犬との交雑が進むのを憂えた先人によってその種の保存が守られています。現在では世界中で愛され、英語で「AKITA」というと秋田犬のことを指すほどです。かのヘレン・ケラーも秋田犬を飼っており来日した際には大館にも立ち寄っています。

遠来の方で「秋田犬」を「あきたけん」と読まれる方がありますが、正しくは「あきたいぬ」です。「秋田県」と間違えられるからでしょうか。

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